元F学童保育所のみんな、元気ですか?私の関わった5年前当時の子どもたちはこの4月で中学3年生から小学6年生までに成長した。そんなことを思いながら鴨川沿いの満開の桜を眺めていると感無量になった。あえて、会いに行くことはしなくても、かつてのあなたがたのセンセイはいつもいつまでもみんなのことを思っています。私の人生の30代の中ではダントツに楽しかったわかばのみんなと過ごせた頃があるから今も生きていられる。もし、あの出会いがなかったら、あの奇跡のような出会いがなかったら、もう私は自分で自分を諦めてるに違いないもの…あの強烈にエキサイティングでそれでいて、ほっこりできる心の居場所をくれてありがとう。今、私はお医者さんが「?」と思うようなことが身体に起こっていて、でも身体は色々な検査をしたけれど悪いところはないのに、まともに走れない、歩くことすらほんの少し前までは身体が鉛のように重いため(でも、体重は48キロ程度だ。)以前なら普通に歩けていたことが、必死に歩いて10分くらいで行って帰って来られる距離を30分以上かかってしまっていた。それをなんとか自己流のリハビリでまだゆっくりだけど、まっすぐな姿勢で歩けるくらいにはなった。ただ、そんなに長い距離はまだ歩けないんだけど、頭の病気でも心の病でもないのに骨も筋も神経もおかしくないのになぜ歩けなくなってしまったんだろうかと途方に暮れていた2、3カ月前よりはかなり事情は好転している。それもこれも自力だけではなく、子どもたちにえらそうに、「無理、不可能、あきらめろ」という言葉を正すことに必死だった日々を思い返して、あなたたちの元気あふれる笑顔、パワーを胸にたぎらせることができるから動けているんだと思う。リハビリ頑張ろうと思う。もう一度、いいえ、もっともっとちゃんと歩いたり走ったりしたい。行きたいところ、したいことまだまだいっぱいあるもの。いつか元通りに普通に歩いたり走ったりすることができたら、わかばのみんなとまた会いたいな・・・みんな、普通に呼吸して、物が食べられて、勉強したりスポーツしたり、友達と遊んだりできてることは本当にすごいことなんやで。生きていた証に、とても楽しくて、時に苦くそして最高におもしろかったわかばのこと・・・個人情報云々の問題あると思うけど、皆、仮名でそれにもう「わかば」はなくなってしまっているので、私の個人的な思い出話、昔話をこれから綴るに過ぎないことを了承してほしいです。わかばで学童指導員として働いていた頃に至るまでの闘病記→婦人病との闘いのことを綴りたいと思います。では後日に・・・